少年犯罪 |
テレビのニュース番組がワイドショー化し、グルメスポット紹介や芸能ニュースばかりになったのはともかく、芸人が政治や経済から世事万般について語るのには困惑させられる。この傾向は関東より関西に顕著である。
昨今、佐世保同級生殺人事件の父親の責任を問う声があれこれと囂しい。それに呼応して父親が自己弁護と取られかねない意見を陳述しているのはいただけない。マスコミ雀の一連のさえずりなど捨て置けば良いのである。そもそも彼女は病んでいるのであって、病の責任なんぞ、例え親と云えど取られるものではない。仮に娘が重度の癌に罹ったとして、それが親の責任だとでも云うのだろうか。
彼女は知的で、すこぶる論理的である。通常云うところの論理とは、当然と思われている仮説すなわち前提や俗識、健全で実用的とされる常識などによってひどく歪められている。ところが、彼女は病んでいるがゆえに、因果性は意味をなさず、論理は時として奔放なまでに疾駆する。かかる自由人は社会のために隔離するしかないのだが、わが国の法体系でそれが可能かどうか、早晩、医療少年院から出てくることになる。
管賀江留郎さんのウェブサイトは十全に吟味されている。佐世保のような案件は戦前の方が遙かに多かったようである。
http://kangaeru.s59.xrea.com/ijou.htm
管賀さんの著書「戦前の少年犯罪」には「戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!」とある。
国民の多数が求めているとは云え、ジャーナリストでもない人間がニュースキャスター(英語ではニュースアンカー)という立場で、常識を振り翳し、知った風なコメントを呟くのに辟易しているのはわたしだけではあるまい。
何事によらず決まりごとが優先されるわが国にあって、不条理そのものと評するしかない彼女のような存在は許されない。それはよろしいが、責任を周りに振るのは見苦しい。コメントを呟いているニュースキャスターこそが、彼女の精神の苗床であり、責任の元締なのかもしれない。